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/// 夢千代日記の秘話 夢千代、妻と重なる ///

夢千代、妻と重なる シネマの時代 淀川長冶誕生100年 
                                   2009.1.4朝日新聞掲載記事より

400 夢千代新聞記事
24年前、県北部の山あいにある温泉街と広島を結ぶ映画が世に出た。

「夢千代日記」。新温泉町の湯村温泉をロケ地に、広島での体内被曝によって余命幾ばくもない置屋「はる家」の女将(吉永小百合さん)の生き様を描いた物語だ。映画とそれより先に放映されたテレビドラマの撮影は、県内のほかの温泉街に奪われがちだった観光客を呼び込む絶好の機会だった。

「ただの観光スポットになるだけで終わらせたくなかった」。旅館「朝野家」を営む朝野繁さん(82)は四半世紀前の撮影風景を思い起こし、つぶやいた。

当時は第2次オイルショックの余波で観光客が低迷。朝野さんは撮影を通じて湯村の良さを知ってもらおうと、出演者を自分の旅館に格安で泊めたり、テレビや映画のロケ隊の案内役を買って出たりした。「お座敷のイメージを損ねかねない」。県外から降ってわいたように入ってきたロケ隊への協力を惜しまない朝野さんに対し、芸者の組合からは不平の声も上がった。

それでも、ある思いが背中を押し続けた。夢千代を平和のシンボルにし、戦争がない世の中にしたい――。そこには妻の鈴子さん(80)の存在があった。

広島に原爆が投下された3日後の45年8月9日、鈴子さんは爆心地から約10キロ離れた町から「女子挺身隊」の一員として市内に入り、陸軍の倉庫の片付けにあたった。そして、目に見えない残留放射能を浴びた。

映画の撮影が始まった時、連れ添ってから33年が過ぎていたが、鈴子さんが「入市被爆者」となった当時のことを語ることはほとんどなかった。「朝野家」の女将の役目を黙々とこなす姿が同じ被爆者の夢千代と重なった。

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夢千代日記が封切られた85年、地元の観光協会長でもあった朝野さんは協会の事業として、春来川のほとりにある泉源の一つ「荒湯」のそばに夢千代像を建てた。台座は、広島市から譲り受けた旧同市庁舎の被爆した敷石。銅像の足元に置いた「浄財の箱」には、今まで記念撮影を終えた観光客らが次々とお金を入れていく。

多い年には30万円を超える「浄財」は、広島市に毎年贈られる。「湯村で夢千代日記の撮影があって本当によかった」。朝野さん夫婦は心からそう思っている。

映画がつないだ新温泉町と広島との交流は受け継がれ、広がっている。「『遠い所からよう来んさった」とねぎらってもらうだけでいいんです」。町商工観光係りの中井達也さん(35)は照れくさそうに笑う。

県の物産展が広島で開かれた92年以降、町は広島市内にある2カ所の広島原爆養護ホームに毎年8月、温泉を「出前」している。中井さんらは早朝に源泉から80度の湯11トンをくみ上げ、片道380キロを5時間半かけて運ぶ。

「お年寄りが熱々の湯を入れた浴槽で気持ちよさそうにしているのを見れば、運転の疲れもなくなります」。小学校だったころ、温泉街でカメラの前に立つ銀幕のスターたちを眺めてわくわくした中井さんは今、不思議な縁を感じている。

350折鶴ポスター
06年からは、ロケのセットや原爆ドームの模型などがある「夢千代館」や各旅館などに折り紙を置いて観光客らに鶴を折ってもらい、「原爆の日」の前に広島に届ける取り組みも始まった。最初の年は1万5千羽、次の年は3万羽、昨年は6万3千羽までなった。

主婦の阪本郁美さん(55)は数千羽を毎年折り、夢千代館に託している。「ささやかだけど、『みんなが幸せになれば』という願いを届けたい」。阪本さんは、今年も平和を願う気持ちをヒロシマへ届けるつもりだ。  (朝日新聞記者 大島良太)
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